コミュニティホスピタリスト@奈良 

市立奈良病院総合診療科の森川暢が管理しているブログです。GIMと家庭医療を融合させ、地域医療に貢献するコミュニティホスピタリストを目指しています!!!

現代思想入門 感想など

現代思想入門(講談社現代新書) [新書]

 

現代思想入門を読み終えた

気になったことをツイートしていたので、以下に列挙。

・2項対立をどう克服するか。コロナは2項対立そのものだ。ワクチンを打つべきか、コロナは風邪なのか。あえて自分が是としない立場で考えてることも重要。

・デタッチメントは、中道と読み替えてもよいかも。自己を灯火にするというのは初期仏教に近い。つかず、離れず。

・バーチャルな差異や、仮固定、プロセスという概念は縁起や空、無常という仏教哲学と近い気がする。臨床においてもデータにすると失われる微細が存在する。だからこそ小説を書く医師もいる。

リゾームのイメージは多神教的な世界観なのかもしれないし、やはり色即是空というイメージかもしれない。大日如来がいない曼陀羅のイメージ?かわりゆく自然そのものかもしれない。

リゾームはインターネットによる領域横断的なイメージとのこと。

フーコーの権力論。管理社会という意味でワクチン打とうぜというのも無理やり病気にさせず働かせるという管理論かも、しれない。だからワクチン打ちたくないなら、反科学主義でなく、フーコー的に権力から逃れたいとだけ、言えばよいかなと。

・雑多な曖昧な生き方という背景には、キリスト教的な一神教脱構築という面があるのだろう。ただ、日本の古来の思想は八百万の神、山川草木悉皆成仏なので、わりかし曖昧。ただ、江戸時代の儒教の影響は管理的では、あるし、その影響は大きいかも。

マルクスの概念はやはり、新しいのだろう。非常に先駆的。資本家と労働者という概念は、当然だが歴史的に産業革命がないと起こりえない

ラカンはエディプスコンプレックスのイメージだが本質的にはあるはずのない煩悩を追い求め続ける様かもしれない。しかしいつまでも辿りつけない。四諦とは鏡像関係。言語の習得で失われる現実界と空の概念は近い気がする。

否定神学は、般若心経の不生不滅 不垢不浄 不増不減を思い出す。それへの批判とは神秘主義は明晰的態度への甘えや逃げであるということか。あるいは永遠に何かを追い求めることをやめ、いまここに集中すべきということなのか

・ただ、空の思想は四諦とも関連があるように、空の姿勢で生きるということは、いまここを生きる姿勢にも繋がるかなと。蜃気楼のような享楽を求め続けるラカン的な発想が、享楽にいまここを見いだすのか。有限性の自覚が、空や永遠のトリガーだとしたら。

・カントの超越論的はオペレーションシステム。systematicに何かを成り立たせる前提。確かにwindowsもOSの外にあるものは認識できない。たぶん、言語や知覚の限界とも関連。その外になると神秘主義的にならざるおえない。禅や密教的な世界になる。やらないとわからない。言語を拒否する世界

エクリチュールとは心理から遠ざかりずれて誤解されるもの。世の中の真理はすべからくエクリチュールの要素をはらむ。濁った水のなかで生きることを自覚せよ。→心理はかなりキリスト教的。エクリチュールが重要というのはパラドックス親鸞パラドックスとも通じる。悪人正機

・レビナスは他者の哲学。存在論への反発。ただあるという共同体的存在論は他者を排除することでファシズム的になる。他者から始める。他者を無限、存在の地平を全体性ととらえる。→アンチファシズム。ただ、そこから存在しえないものへの憧憬へ。言語を越えたもの。

・アンチファシズムという意味ではむしろ生命がもつ無限にも思える宇宙に注目するというのも、ありかもしれない。アンチテーゼとして東洋的な山川草木悉皆成仏的世界観は確かに有用かもしれない

デリダは差異の哲学。弟子のマラブーは同一性に逆張りして、揺り戻す。形態を持ちつつ可塑性があり、変化する。仮固定する。→行く川の流れは絶えずして元の形にあらず。

・メイヤスーは絶対的同一性のパラドックス。絶対的同一性なので、存在することに意味はなく、いつでも変化可能。→同一性が差異にかわるパラドックス。→生命そのものでは?

・メイヤスーは、思弁的唯物論として数理的に記述できる客観的真実を規定した。しかし、それは意味がなく偶然。偶然であるがゆえに突然変化する。→科学的な思考と親和性が高い。変化することは、必然である。

・古代的ポストモダンは、イマココを生きる姿勢。悩まない。多元化した問題を多元化したまま扱う。世俗の深さを知る

・四原則→他者性(排除されてるもの)、超越性(成り立たせる前提)、→排除されているものを前提にする極端化→排除されているものを極端化する、反常識→結果、常識に反する

 

最後の、現代思想入門の読み方の解説が非常に興味深い

情緒がかった回りくどい文章を、回りくどくない方法で、端的にこう読むんだよと解説してくれるのが興味深かった。

ただそのような文学的な構成にも深く読むと思想があるというのは人文科学の興味深い方法論だと感じる。

 

個人的には初期の梅原猛の仏教思想で現代哲学入門を理解する読み方がやはり、面白いなと感じた。

おそらくは、空や山川草木悉皆成仏を現代思想の文脈およびポスト現代思想で再構築するということが現代日本における哲学の方向性の1つではないかと感じる。

 

おそらくは現代思想で排除されているものは、自然や生命なのだろう。

つまり、山川草木悉皆成仏的な世界観である。

四原則にもとづいてさらに進めるなら、超越性として自然や生命にも人間と同様に仏性があると規定し、それを前提とする極端化を推し進める結果、反常識となるのだろう。

その極端化で常識とは反する以下のような内容がありえるのかもしれない。

屠殺される家畜にも仏性があり、我々は日々、仏性があるものを殺して生きている。

 

日本から、最新の哲学の思想の流れを踏まえながら、仏教を始めとする東洋の哲学を融合した、新しい哲学の創造を夢想してしまう。