妻子が実家に帰っている間に、前から気になっていたアニメを見た。
結果的に、どはまりした。
オタキングは酷評していたようだが、私は心を打たれた。
- メタバースの美しさ
この作品のメタバースは美しい。
夕焼けのような光が幾何学的な空間を包む。
龍の城で龍と姫が出会うところは、ディズニーの世界がメタバースに顕現しているありようである。
どことなく歌もエレクトリックパレードを思い起こす。
- メタバースとアズ
この作品のメタバースの特殊性は生体認証でアバターが自然に生成される点である。
メタバース進化論ではFacebookのメタバースのアバターがあまりにも雑なので使う気にならないと指摘されている。
その点、この作品のアズは多様性に富む。そして人形と獣型など様々なアズが混在しているカオスは、メタバース進化論で示唆されていたメタバースの世界そのものである。
ただし、この作品のアバターであるアズは自動生成され、本人の生体データを読み取りポテンシャルを引き出すとされる。
ただし、なりたい自分になれるというメタバースの優位性を考えると、アズは自分でデザインするべきものであるのだろう。
主人公の鈴はメタバースによってポテンシャルを引き出されBellというアズになったが、それではポテンシャルがないものは結局メタバースの世界でもたいしたアズにはなれないという問題が生じる。
ただ、それを差し引いても美しい空間に自由に多種多様なアズがカオスに入り交じるというメタバース空間を提示した意義は大きい。
- メタバースと現実の行き来
この映画はメタバースと現実を目まぐるしく行ったり来たりする。
まったく違うのだが浄土真宗の二種回向を思い出す。
ただその速度は非常に早い。
メタバースと現実を、目まぐるしく行き来することで、お互いの美しさが引き立つようになる。
後半でメタバースの世界で歌を歌えるようになった鈴は現実世界でも前を向き始める。
その過程で仲間や家族の大切さを知る。
そして、心なしか現実世界がますます美しくなっていくように感じる。
そのような現実世界は最初からあったにも、関わらず。
メタバースの世界が現実を美しくしているのではないかとも感じる。
- メタバースと現実の融合
この作品のフィナーレはアンベイルされてアズから現実の、さえない高校生の少女がメタバースの世界で顕現された瞬間であることは間違いないだろう。
その場面は不思議な感動を生む。
メタバースの広大な世界で現実の少女が浮いている絵は非常に幻想的である。
さらに、メタバース世界の住人の光が集まり光であふれる。
浄土のような理想世界を想起する。
そして最後にメタバースから戻った現実は美しい。
川は流れ、入道雲がそびえ立つ。
山川草木悉皆成仏という言葉を思い出す。
不思議なことにメタバースと現実の二種回向は、メタバースのみならず現実世界の光も生起する。
- 少年少女とメタバース
この作品は少年少女の成長を描く物語でもある。特に、主人公の鈴と龍である少年の成長の物語である。
メタバースの可能性を感じざるおえない。
それは10代や20代の若者がメタバースで自分の殻を破り世界を変える可能性を持っていることではないか。
いつの世も世界を変えるのは若者なのだ。
インターネットが格段に個人のポテンシャルを高めた。
メタバースの世界では個人の若者が、より世界を変えるポテンシャルを持つようになるのではないか。
少年少女のメタバースでの劇的な成長は、世界を変えるのかもしれない。
○最後に
いろいろと考えさせられる作品だった。
もちろんシンプルな絵の美しさ、歌の素晴らしさにも心を惹かれた。
中村佳穂の歌声も素晴らしい。
シンプルに、いい映画だった。