梅原猛と仏教の思想
衝動買いして読んでみた。
実は、私は高校時代にどはまりした思想家が2人いた。
そして、もうひとりが梅原猛。
どちらも、タケシだ。
ちなみに、私の臨床と研究の恩師もそれぞれタケシで、なんなら次男の名前もタケシだ。
梅原猛は隠された十字架などの古代日本史のイメージが強いが、実はわたしはその手の古代日本史の本は読んでいなかった。
私にとって梅原猛は仏教思想家にほかならない。
地獄の思想はもっとも梅原思想を体現しているものだろう。
この本にもそのことがまとめられていた。
特に地獄の思想、生命の思想というフレームワークは私の仏教理解の基盤になっている。
前者は天台と浄土
もうひとつの禅宗系のフレームワークは、どうしても僕には馴染みがない。
それは梅原猛にとっても同様であったようだ。
この生命の思想と地獄の思想というのは梅原仏教学の中核となっていく。
ちなみに、地獄の思想の実例として太宰治の他に、宮沢賢治がとりあげられている。
宮沢賢治の地獄は深い。
妹との永訣を歌い、殺され食べられる動物を悲しみ、貧困な農民を憂い、最後は若くして病死する青白い顔。
よだかの星はもっともその典型だろう。
生きるために命を奪うことに絶望し死ぬよだか。
ただ、宮沢賢治が信奉した日蓮宗は生命の思想よりであることが興味深い。
私自身の感覚として宮沢賢治のあの聖人のようなストイックな様子は日蓮よりも最澄を彷彿とさせる。
たしかに宮沢賢治は地獄の系譜なのだろう。
そして梅原猛の思想は、「仏教の思想」へ続く。
実は、これも全巻持っていた。
僕の梅原猛の理解は、地獄の思想と仏教の思想の2つが基軸であり、それは本書でもそのようになっている。
特に梅原猛が書いたところは面白かった。
というか、そこしか読んでいなかった。
この3人を語る梅原猛の筆致の生き生きした様に虜になった。
仏教理解という意味ではそうとうにバイアスがあるのだろうが、梅原猛というバイアスでしか僕は仏教を理解できなかった。
そして実際のこの3人が梅原猛にとって最も興味を引く仏教者であった。
特に興味があったのが親鸞と空海だったが、この2人に関して、系統的な書を残すことはなかった。
意外なことに法然についての書を残すことになったが、これは歎異抄の悪人正機説賛美解釈への根強い批判があったからのようだ。
実際に仏教の思想でも親鸞は書きにくいと供述していた。あまりも手垢がついていたからだ。
二種回向が親鸞のもっとも中心的な教義でありそれを理解するために法然を先に訪ねた。しかし親鸞に本格的にたどりつくことはなかったことは残念である。
なお、空海はあまりにも偉大すぎて、まとめきれなかったようでもある。
その後、梅原猛の興味がアマテラスやアイヌに移ったことをこの本ではじめて知った。
ただ、この本で言われていたように梅原猛には神仏習合についてもっと深めてほしかったというのはその通りだ。
例えば熊野の修験道などは、そうだったのかもしれない。
それを邪魔していたのが国家神道による戦争動員とそれによる神道の忌避であるというのは納得である。
たぶん、中沢新一がアースダイバー神社で扱ったのは、梅原猛がなしえなかったこの神仏習合の意味づけの延長線にあるのだろう。
つまりは太陽をどうあつかうか
生命の思想をどう扱うかということになる。
おそらく生命の思想の起源はもっと古く、縄文と弥生人の太陽信仰が重なった土着のものだったのかもしれない。
中沢新一が太陽と海、稲をモチーフに太陽を語ったように、素朴なアミニズムとしての太陽神。
アマテラスの起源も、そのようなアミニズムであったのだろう。
その素地としてあった器に密教が注がれたのだろう。
梅原猛が終生追いかけていたものは地獄の思想と生命の思想との融和であったというのは、興味深い。
天台と真言密教が融和した山川草木悉皆成仏という概念が梅原猛の重要な仏教思想であったというのも、その文脈から理解できる。
彼は深い絶望のなかに光を求める人だった。
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
という詩は、梅原猛の仏教思想を端的に表現している気がしてならない。