最近の総合診療の流れを診ていると、感染症内科の過去を思い出す。
僕も、一時期感染症内科を考えた時期もあったので、余計にそう思うのかもしれない。
旧来、日本では感染症診療は軽視されてきた。
誰でもできるとか、適当に抗菌薬をローテーションすればよいでしょ、とりあえずメロペン投与すればなんとかなるでしょ。
とういう考え方が僕が初期研修医になった10年前もまだまだ、あった。
あるいは、感染症の専門家は微生物の専門家であり、やはり広域抗菌薬をひとまず使うことが最強の治療だという考え方もまだある。
とはいえ、青木眞先生、岩田健太郎先生などの臨床感染症のトップランナーによる啓蒙活動により日本の感染症診療は進歩したように思う。
さらに、岡先生のプラチナマニュアルの普及によりこのような良質な臨床感染症の考えが隅々に行きわたるようになった。
夜明け前と言われていたが、現在はもう日が昇っているようだ。
一方で、総合診療の領域はどうだろうか??
混沌としていて、夜明けはまだまだ先だ。
誰でもできるというネガティブキャンペーンは強い。
専門性が分かりにくいという点は感染症の過去よりも厄介かもしれない。
そもそも領域内部でも意見が分かれている。
総合診療の専門性は内科学という派閥と、総合診療の専門性は家庭医療だという派閥に分かれている。
この意見の相違はキリスト教のプロテスタントとカトリックの宗教論争のような様相を呈していて、そう簡単に解決しなさそうに思う。
ただ、エビデンスおよび現場の実感でいえば、総合診療の専門性は家庭医療学であるというのが僕の立場である。
つまり、複雑性の高い問題を全人的に扱うことが総合診療の原則であるとする立場だ。
これは、病歴・身体所見・バイタルを重要視し、臓器・細菌を追求するという青木先生の感染症診療の原則に相当するかもしれない。
アマゾンの総合診療の分野と感染症内科の分野を比べてみると良い
一方で総合診療は?
そもそも総合診療というよりも内科学の分野であるように見える。
ただ、市中病院や診療所の現場で総合診療をしていると多併存疾患をはじめとする、複雑系、未分化な問題への対応が実際の仕事の8割を占める。
そして、そららの対応方法は内科学の射程には全く入っていない。
マニアックな診断困難症例は1割にも満たない。
かといって専門医機構にも期待は出来ない。
彼らは内科と総合診療の違いすら理解できてないように思う。
よって、総合診療の確立を目指す必要がある。
青木眞先生の感染症診療の原則に相当する、総合診療の原則を確立し普及する必要がある。
総合診療の原則は、家庭医療学をベースとしつつも、旧来の総合内科が大切にしていた診断学やEBM、さらに米国のホスピタリストが重要視する質改善や医療安全などの要素をミックスとしたものになるだろう。
そして、そのような総合診療の原則は欧米を参考にしつつも日本で独自に確立する必要があるようにも感じる。
内科学は重要だが、内科が総合診療のベースという考えでは、総合診療の未来はない。
それだけは断言できる。
まずは総合診療と言う分野に関して感染症に比べて100周くらい遅れていると認識する必要がある。
さらに内科が総合診療のベースだという考えからそろそろ脱却しよう。
まずは、そこからはじめる必要があるのだ。
もっとも端的には、病院で家庭医療を実践することの重要性から出発してみるのが分かりやすいと思う。
病院でも内科では解決できない複雑な問題が山積みになっていることが、まっとうに臨床をしていれば理解できるはずだ。
興味があれば、まずこの本を読んでいただくことをお勧めする。
そのうえで、今後どうするか考えてほしい。